住宅の不同沈下・地盤改良、自然災害による住宅被害の復旧工事等、住宅の基礎地盤の全てのご相談に応じます。WASC(ワスク)は住宅の基礎と地盤の専門会社です。
弊社は「そこに住む人の生命と財産を守りたい」との想いで2005年に創業しました。
具体的には「常時、自然災害時の住宅の不同沈下防止と修復」です。
代表取締役高森洋は昭和46年から住宅基礎、地盤に関り、その後の宮城県沖地震以来、多くの自然災害被災地で調査、修復にあたってきました。これらを通じて感じたことは「地震の時、地盤は昔の姿に戻る」で、以後機会あるごとに言い続けてきました。
40年余自然災害に関ってきた高森は、今回の大震災の復旧修復に天命、使命を感じています。
このため今までの経験と実績の全てを今回の大震災に注ぎ、現地での取材、調査、修復相談などの生々しい状況をお伝えすると共に、弊社の責任で見解を述べさせていただきます。
このことによって微力であっても被災地の皆様方の復旧、復興に役立ちたいと願うものです。
被災建物の調査と修復設計を希望されるかたはご連絡ください。持てる力の全てをかけて取り組ませていただきます。
又、WASCでも若干在庫をもっています。
WASCからお買い上げの場合で、ご希望になれば著名をさせていただきます。
地盤工学会の「技術支援」に応募しておきましたら、10月に連絡がありました。鹿嶋市から要請があった、とのこと。早速、市の担当の方と打ち合わせをして11月11日、とりあえず行って現場を数箇所案内していただきました。 隣接する潮来市、神栖市には何回か行っていますが、鹿嶋市は初めて。少し標高が高い場所では被害が少ないとのことですが、低地は液状化による被害が顕著でした。当日の現地踏査結果を送信しておきました。本格的な検討は今後、とのこと。
潮来市の岡元様から譲っていただいた木杭(丸太)。
大阪の弊社の駐車場に3ヶ月放置していましたが、会社で展示するため天井高さに合わせて切断しました。
木杭の頭部がボロボロでしたので、暑さと雨で全体にボロボロかな?と思っていました。
しかし、なんと下の方は「生木」のままで「いい匂い」です。
上の方は腐っていましたが、下は70余年経過しても生木のまま。この境目が常水位です。
「常水位以深は腐らない」と本で読み、話には聞いていましたが、実物を観て感激しました。
渡波地区も津浪と地盤沈下で大きな被害が生じています。国道398号(女川街道)の南側(海側)に気命神社、明神社があり、大きな被害は免れています。周囲の住宅地に比べて少し標高が高いのですが、神社よりも北(山)側は津浪で被災しています。境内の松の大木が津浪が運ぶガレキを遮った、とのこと。「大木が神社を守ってくれた。ありがとう」地元の子供さんのお礼の言葉が境内に掲げられています。
万物全てに魂があるならば、境内の木の魂が社を護ったに違いなく、地元の人々によって大事に育てられて大きくなった木が「恩返し」をしたと思うのは考えすぎでしょうか?
津浪による被災地の中で、境内の標高によって救われた社は多く見かけました。しかし、ここのように境内の樹木が護っているのを見ると、これこそ共生共存と思い、全ての命と魂を大事にしなければならないと痛感しました。
転倒しているビルにコンクリートの杭がぶら下がったまま。これは既存のビルが津浪で真っ直ぐ浮き上がり、流されて転倒したため杭がぶら下がっているのです。過去2回、女川を訪れた時、全景写真を撮ったのが高台にある女川町立病院の駐車場。この駐車場まで津浪が押し寄せて更に大きな被害となったことを今回知り絶句。市街地から駐車場まで約30mの高さ。
3回目の志津川でビックリ。
16時過ぎ、防災庁舎の前にさしかかると八幡川の水面が満杯で、道路に水が浸入していました。今回の大震災による地盤沈下をあちこちで見てきましたが、事の大変さを実感しました。
津浪が押し寄せた3月11日、15:29の惨状が嘘のようで、そばの防災対策庁舎もきれいに片付けられ、訪れる人々が献花し、手を合わせていました。
「復旧、復興」が急がれています。しかしそのために決めなければならないことが多くあるとことを目の当たりに実感しました。
5月1日に出会った菅野さんから頼まれて黄色い布を送りました(第10報に掲載)。
その黄色い布はそばの諏訪神社の階段の途中にかけられハタメイています。
その後多くの方々からの黄色いハンカチが届けられ、8月21日ついに山田洋次監督から
映画のロケで使った黄色のハンカチと支柱が届けられました。
このハンカチから南500mに「1本だけ残った松」があります。
「もう一度、気仙の街に幸せを!!」
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